タクシー運転手の年収から考えるデータの話

私の所属しているとあるコミュニティのチャットにぽろっと溢れた雑談。

それが、私にとってとても示唆深いものだったので思ったことを言語化してみた。

なぜ、茨城のタクシー運転手は他県に比べて年収が低いのか

「茨城だけ、他県と比べて低いのはなんでなんでしょ??
代行メインだから??」

という問いが投げ込まれた。

これに対して、

「家族の送り迎えがあるから」

「自家用車があるから」

「駐車場が充実しているので」

「繁華街が集中していないので」

などの意見が上がっていていずれの意見もタクシーの利用が少ない理由として挙げられていたと思う。

このやり取りを見て、私はとても人文的なコミュニケーションだなと思った。

タクシーの利用が少ないと給料が下がるのか

私の結論は、タクシーの利用者数とタクシー運転手の給料にはあまり関係がない。

ここでは話をわかりやすく、もとい、

ラーメン屋で例えた話をしたいだけなので、ラーメン屋で例えた話をする。

あなたは普通のラーメン屋の店主です。

この町には貴方しかラーメン屋をやっていません。

ラーメン屋を開いたら開店から閉店まで客がひっきりなしにきます。

なぜなら、ラーメンを食べられるお店があなたのお店しかないからです。

週7日休むことなく月に30日、毎日12時間働いて過労死ラインを軽く限界突破しています。

そして月の利益が100万円になりました。

「流石につらすぎるやろ」と思ったあなたは隣に住む山田くんを雇いました。

あなたは優しいので仕事も利益も半分ずつ分担することにしました。

180時間働いて50万円稼ぐことになりました。

そうこうしているうちにみんながラーメン屋に通わなくなってきました。

そう、みんな日清のカップラーメンの美味しさに気づいてしまったのです。

そうして、お店のお客さんは半分になり、利益が50万円になってしまいました。

あなたはお店の営業時間を減らしたり定休日を設けたりして180時間しか稼働させないようにしました。

もちろん山田くんはレイオフします。

最終的に180時間働いて50万円稼いでいくことになります。

みんなのラーメン熱が上がると激務になり、山田くんを再雇用することになります。

資本主義社会では人材の流動性があれば、基本的には

忙しくなれば(客が増えれば)就業者は増えて、暇になれば(客が少なければ)就業者は減る。

つまりは、見えざる手で受給のバランスが取れるはずである。

そうであった場合、その人の稼ぎはその人の働いた時間で決まると言いたいのである。

全然わかりやすくなっていないが、資本主義経済では

商品の価格は投入した抽象的人間労働によって決まるのである。

とマルクスも言っているので…まぁ、そういうことよ。

タクシーの話に戻すと、タクシーの利用者が少なかったとしても、それは事業者も少ないはずなので、

一人あたりの給料にそんな差は出ないんじゃないか、と直感的に感じたのである。

ではなぜ、茨城のタクシー運転手は他県に比べて年収が低いのか

ということは、労働時間が少ないからである。

下表は全国ハイヤー・タクシー連合会のタクシー運転者賃金・労働時間の現況より

この表の通り、千葉県に次いで全国で2番目に労働時間が短い。

シンプルに考えてほしい。

時給が同じだった場合、150時間働いたやつと200時間働いたやつはどっちが稼ぐかを。

茨城のタクシー運転手は他県に比べて年収が低いのは労働時間が短いから。

これが、問に対する答えだとおもう。

さらに、時給の計算をしたが、時給も41/47位となっている。

茨城のタクシー運転手は他県に比べて年収が低いのは労働時間が短く時給が低いから。

なぜ、茨城県のタクシー運転手は労働時間が短く時給が低いのか

さらなる問が生まれますね。

なんで労働時間が短いのか。時給が低いのか。

ここからはデータを眺めて想像の域にしか達しないので、あしからず。

①ドライバーが高齢(労働時間が短い)

全国的にドライバーが高齢なので一概には言えないが平均年齢65歳で150時間も働いていたらすごいのでは。

②事業規模の大きいタクシー会社が少ない

一般的に大きくなればなるほど固定費を圧縮して利益率を上げたり、収益部門のドライバーが生産活動に集中できるため売上が上げたりしやすい。

③組合組織率が低い

これはシンプルに賃金交渉が不利になる。

ほかにも色々あると思うけど今日は眠いのでここまで。

調べてみるとその産業がどういった要素で左右されるのかがちょっとわかって面白いな。

何が示唆深かったのか

さて、ここまでは問いに対する違和感とそれを裏付けるデータの調査、分析でした。

一方でこの投稿に対する一連の流れがとても示唆深いと思ったのは、

それが「議論ではなく、コミュニケーションとして立派に成り立っていたから」

友人(主にエンジニア界隈)などにこの話をするとだいたい

「タクシー利用率の低さと年収の低さはあまり関係ないのでは」と気づいて指摘してきた。

オープンチャットでは利用率の低さと年収の低さの関係性の論証は避け、

個々の体験に基づく茨城県でのタクシー利用の低さの考えを述べていたのである。

タクシー利用率の低さと年収の低さの議論をする場合、集めてくるデータなどは業界の人でない限り、インターネットで集められる情報に限られる。

そしてそこから論理的に考えればほぼ同じような結論に至る。(枝葉の話を除けば)

この場合、おおよそ人と人とのコミュニケーションとしての醍醐味である個人の体験や意見はなくそれを語るのがその人である必要はない。

一方でオープンチャットでのやり取りは完全に個人の体験などに基づく意見で、

とても偏った(主観という意味で)意見であるため、情報エントロピーが高いと言える。

情報エントロピーの低い会話を忌避していた私としてはこんなことが起きるのかと

びっくりしたと同時になんとも表現できない感情になったのである。

良いとか悪いとかじゃなくて。

シンプルにこの構造おもろいやん。と感じたのでした。

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